痕跡本・ロストジェネレーション・物語

デイリーポータルZの『「痕跡本」ってなに?』の記事がすごい。
エロ本編集者の憂鬱と希望 経由)


http://portal.nifty.com/2008/03/21/d/index.htm


「痕跡本」というのは書き込みや落書き、
挟んだままのメモなど、かつて所有していた人の生活の痕跡が
残ったまま古本として流通してしまった本のことらしい。


この「痕跡本」の話。
「本」というメディアに関わる話としては、ここ数年で一番の衝撃を受けた。


ちなみに、僕が一番最近会った痕跡本は
図書館で立ち読みした
『ロストジェネレーション―さまよう2000万人』の中に
水色の封筒が挟まっていて、
封筒には小さい文字で「パーティー参加者一同より」とだけ書かれており
開けると、年末ジャンボ宝くじが1枚入っていた、というものだ。
これだけでも何かのドラマを感じずにはいられない。
その宝くじが有り金をはたいて買った
ロストジェネレーションのワーキングプア生活から
逃れるための切り札の夢紙だったのか、
または誰かがニート脱出したことを祝う宴を催して
その席で友人から贈られた
「夢とカネと落胆」を表した気の利いたプレゼントだったのか。


と、こういう風にあれこれと想像を巡らす(笑)のが
「痕跡本」の楽しみ方であるらしい。
ここには、
スクリーン上で完結するバーチャルな文字情報メディアとの
決定的な差異が存在している。


ふだん、出版社も、著者も、編集者も、デザイナーも
「本」のあり方について
あれこれと考えたり議論したりしているわけだけど
そこで想像されるのは
1)本が作られて、2)書店に並んで、
3)誰かが手に取ってレジに持っていって、
4)部屋や電車の中で読んで、5)本棚にしまう
までの本の姿である。
(酷い場合は3までしか考えられていない。
更に酷い場合はどれも考えられていなくて広告収入の話が主体となっている)。


そこから先の、それぞれの本と買った人間の物語を
イメージして本を作っている人がいったいどれだけいるのだろう?
(というか、そんなことは不可能で不可侵な部分だ。分かっている)
結局、「本と人間のかかわり」においては
本を作る誰もがスタート地点までしか想像できない。
本が刷り上がるのを目指して、
何かが伝達されることを願って仕事をするのとは全く違った視点、
それがこの記事で僕が受けた衝撃だ。


「インターネットの登場によって本や雑誌は無くなる」なんて
聞き飽き過ぎて、それ自体が時代遅れにも感じられる
出版文化における常套句があるが
(もうそんな二元論的な心配をしているのは、
本や雑誌をあまり読んだことがない人だけだろうけど)
そんな対比の構図でなく
文字メディアの中での「本」という姿をした物体の意味を考えるときに、
「痕跡本」というのは何かすごく大きいことを
示唆しているような気がする。



追記:
水色の封筒に入った宝くじは
(もちろん)こっそり持って帰って番号を調べた。
映画みたいなものすごい展開を期待するもあっけなくハズレ。当たり前か。
でも、この痕跡本の物語を引き継いだような感覚は悪くなかった。