ギター事始め・中二病・サウスブロンクス その2

前回の続き。



綾瀬駅の繁華街は北口にあったのだが
僕の目指すレコード屋兼楽器屋は駅の南側、
昭和の匂いを残す一角にあった。
駅裏の通りはなんだか薄暗くて、
赤提灯に縄のれん、寂れたスナックなどが並び
鬱屈した中二男子が自己実現の糧を得るには
あまりに渋すぎる風景だ。今では大好きな風景だけど。
僕より上の世代では
「ギターを持っていると『不良』と呼ばれた」という
話を聞いたりもするが、
そのロジックで判断すると、こんな場末の飲屋街で
楽器屋を物色する中学生というのは相当ワルい(笑)。


とにかく、その薄暗くて、埃っぽい、
中途半端な歌謡曲が流れているような店内の
奥のコーナーに楽器コーナーがあるのを無事見つけた僕は
「はじめてのロックギター」みたいな教本を1冊と
弦を1セット買って帰った。


家に着くなり、苦労しながらもなんとか弦を交換し終え、
ウキウキしながら鳴らしてみると
「ジャリーーン」という妙に薄っぺらい音が出た。
何だか想像と違う音のような気がした。
それもそのはず、
僕が家で見つけたギターは「クラシックギター」で
僕が買ってきた弦は「エレキギター用の弦」だったのだ。
クラシックギターは「ガット弦」という
ナイロン製の弦を張るのです)


ともあれ、もう張ってしまったものは仕方ないので
そのまま練習することにして、
僕は夏休みの間中、「ドレミファソラシド」と
「ドミソラシ♭ラソミ」という基本のフレーズばかりを
阿呆のように繰り返して弾いていた。


結局、次の正月にお年玉をはたいて
フェルナンデスのストラトを買うまで
僕はこの「ジャリーーン」と鳴るクラシックギターで練習し続け、
さすがにその頃には基礎フレーズの反復練習に飽きて
ブルーハーツなどをコピーしたりしていた。
中二病の典型的アウトプットだ)


綾瀬のレコード屋も、
高校に入ってお茶の水に通うようになるまでは
近所の友&愛というレンタルCD店(懐かしい!)とともに
僕のスクール・オブ・ロック(何かを教わる訳ではないが)で
あり続けた。
いまでも弦を張り替える時に少し思いだしたりするのだが、
僕のギター黎明期の記憶は、
何度行っても同じ雰囲気だったこの店の
場末の飲屋街の、薄暗く、埃っぽい印象とともにある。


2回に分けて長ったらしく書いた割に
大したオチもなくてすみません。


今では、ギターも何本も買い替えて
弦も間違えずに鼻歌まじりに交換できるようになって
それどころか最近は面倒くさくて
ロクに交換さえしなくなっている。
友&愛というレンタルCD店はとっくに無くなってしまい、
綾瀬のレコード屋が現在どうなっているかは全く知らない。
僕の中二病は治ったのか治っていないのか
ぶり返したのかも良く分からない。
とにかく、あれからもう18年も経っているということに
ただただ驚き、
「昔のことを話すと長くなる」ということを実感した次第です。