三社祭・ピクチャー・ルリユール

日曜日は久々にフットサル。
今回のコートは浅草だったのですが
ちょうどこの日は三社祭で駅を降りると
老若男女、担ぐアホウに見るアホウ、
とにかく人、人、人の群れがワッショイ中です。
褌一丁で体中にピクチャー(和彫り100%)の方々も闊歩していて、
大荷物をぶつけでもしようものなら
怒鳴られ威嚇され神輿の上に担ぎ上げられて
雷門まで連れて行かれるとも限らないので
注意しながらようやくコートに到着。やや遅刻でゲームに参加。


「ナイスヘッドだピクチャーマン」とはかつての
スチャダラパーのライムですが
さすがにコートの中にはピクチャーマンの方々は居らず
和気藹々と2時間ほどいい汗を流してグダグダに疲れて終了。


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先日の日記で
『小説の誕生』の「頁のジャギジャギ」について触れたのですが
あれからざっと本棚を見回してみたら
いくつかそういう本があるのに気づきました。
例えば『246』(沢木耕太郎)、『スペインの宇宙食』(菊地成孔)など…。

やや、これはもしかして装幀上の理由に
よるものなのではないだろうか。
と調べたらやっぱりそのようです。
『小説の誕生』や『スペインの宇宙食』は
フランス装という、表紙が下図のように
内側に折り込まれている様式の表紙なのですが



本来のフランス装というのは上記の表紙に加え
頁が全てアンカット(断裁されていないまま、
8頁や16頁ごとに綴じたままの状態)で
市場に出されるというもので、
本を購入した人がペーパーナイフで頁を切り開き
工房に持っていって
綺麗に綴じてマーブル紙の見返しと革表紙を付けてもらって
金箔で書名と飾り罫を押して
書斎のマホガニーかなんかの書棚に入れて
夜な夜なカルヴァドスを舐めながら本を繰る、みたいな
ああなんて素敵な感じ、なもののようです。


まあ、後半3行ほどは冗談ですが
これは相当トラッドでマニアックな出版文化の話で
(私家版とか、蔵書票とかそういう世界です)
フランスで現在もこういう本が
普通に流通しているかといったらそんなことは決してなく、
とにかく、そういったヨーロッパの出版文化の粋たる
フランス装の雰囲気を出すという
装幀上のイデオロギーによって
これらの本は天アンカットにしているのだろうと推測します。



ああ、すみません!
デザイナーという職についていながら
全くもって不勉強でお恥ずかしい限りです。
前回の日記を訂正して反省します。