トマト・書物の印象・釜

妻が高知出身の同僚の方から頂いたトマトを食べる。
口に入れた瞬間に青臭くて瑞々しくて
驚くほど甘い味が広がって、
なんだか夏を食ってるみたいだった。
料理とか酒とか、人の手の入っているものはまた違うのだけれど
生の、野菜や果物のとてつもなく美味しいものを食べると
もうその味を、というかその感情を言葉にすることが
何の意味もないってことを実感する。


東京ではこんなに美味いトマトはなかなか食べられないけれど
(もちろんそれなりの対価を払えば食べられるのだろうが)
高知、に限らず日本の田舎では
こんなに美味いものを日常的に食っているのだという事実に愕然とした。
都会と田舎の地域格差だ。普通とは逆の意味で。

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保坂和志『小説の誕生』を読む。
買ってから気づいたのだが頁の上端が裁断ミスで不揃いになっていて
そこに何か圧力がかかったようで、部分的に凹んだり曲がったり
上手く説明できないけど、まあ、「ジャギジャギな感じ」だ。
本屋に行けば取り替えてくれるはずだけど読むのに支障はないし、
なんだか古い辞書とかスクラップブックみたいで面白く(ただし上端だけ)、
本の感触が柔らかい感じに思えてそのまま持っておくことにした。
こういう、装幀家が意図しない本の感触、
汚れとか、匂いとか、誰かが引いてしまった線とかが
読書の経験や記憶に実は強烈に寄り添っていたりする。
そういうものも含めて書物の印象なのだ。


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先日の軽井沢旅行の帰りに買った「峠の釜めし」の釜。
鮭をくわえている木彫りの熊とともに
何故かどこの家にもあるというあの釜だが
植木鉢に再利用、とかではなくて
普通にこれを料理に使えないものかと検索したら
峠の釜めし」のオフィシャルサイトに
様々なレシピが載っているのを発見。すごい!
http://www.oginoya.co.jp/cooking/index.html



もちろん1合ずつご飯も炊けるので炊いてみた。
火加減が難しくてややコワい仕上がり。
オコゲもやや炭化してしまったのだが、
味はやはり炊飯器より美味しい。
味より何より、家で再び駅弁気分が味わえるというのがポイント。
どの家にも何故か存在するはずなので(しつこい)
興味のある方は他のレシピにもチャレンジを。