夕日・東京の東西・阿佐谷JAZZ

やっぱり泣きました。『ALWAYS 三丁目の夕日』。


サンタとか手紙とか吉岡秀隆とか、あざといほど分かりやすい泣きポイントは
もちろん押さえつつ
どうでもいい風景とか演出のディティールにやられてしまい
もう涙腺のオープンチューニング。(いやそんなに泣いてはいませんが)


昭和40年代の終わりに生まれた僕は
30年代は「再現されたレトロ」としてしか体験していないのだが
この映画の細部に感傷的なリアリティを感じてしまうのは
やっぱり僕が育った葛飾区など、東京の東(父が本当に「しがし」って
発音しているのを聞いた時は驚きました)の端のエリアには
僕が子どもの頃はまだまだ昭和中期の影が色濃く残っていたので
その根っこの記憶が刺激されるからなのかもしれない。


そういえば先日友人のSから、
「初めて東地区に足を踏み入れて、西側との風景の違いに驚いた」
という話を聞いて興味深かった。
(なんだかこの一文だけ読むと
1989年のドイツ人のようでもあります・笑)
確かに今でも高いビルなんてほとんどないし
「金属加工・プレス」とか「メッキ」とか描いてある
小さな町工場がそこら中にある。
住んでいる時は気にしたことなどなかったのだけれど
一旦外に出てみて、たまに帰ると
やっぱり風景の違いに気づく。
故郷の風景というのは、一度そこを離れた人間にとっては
舞台装置のようにも感じられる。


これは東京の東側に住む人間の特権だと思うのだけれど
荒川の土手(ここも僕にとっての舞台装置だ)に立って、
向こうに沈んでいく夕陽を眺めると素晴しく綺麗だ。
広い空。高速道路のジャンクション。汚い水面。
そして、土手の向こう、太陽が沈んでいった西には「トーキョー」がある。


東京都の中には「東京」と「トーキョー」があって
東側の区はいわゆる都市イメージとしての「トーキョー」ではない。
ここは「東京地方の町」であって、日本中の「○○地方の町」と同じだ。
若い頃は中途半端に何にもない自分の住む町が嫌だったりしたのだが
(これならいっそド田舎の方がいい。みたいな)
「東京」と「トーキョー」の違いに気づいてからは
素直に受け入れられるようになった。
結局、日本中の若者と同じように「トーキョー」に憧れていただけなのだ。


それから十数年経って、僕は23区の西の端から「トーキョー」を見ている。

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『阿佐谷JAZZ STREET』


去年はほとんど見ることが出来なかったので
今年はパスポートを買って有料会場巡り。
渋さ知らズのスガダイローとかROVO岡部洋一さんとか
あっち系(笑・どっち系だ)のミュージシャンも
ふと見たグループに参加してたりして面白い。


夕暮れの阿佐ヶ谷のそこかしこでジャズが鳴っていて
その中を買い物袋ぶら下げたおばさんとか
塾帰りの小学生とか、杖をついたおじいさんが通る。
日常のなかを自然に流れるジャズを聴きながらボーっとしていると
僕の住んでいた町から数秒遅い夕陽が西の方に沈んでいく。
シャッフル・ビートに乗せて。


今日のメインは山下洋輔さん。
阿佐ヶ谷の鎮守である大きな神社の神楽殿で演奏するのだが
鬱蒼とした木々に囲まれた舞台に松明が灯されていて
なんとも幽玄な雰囲気。
こんなところでフリージャズなんて素敵すぎる。
ライブは貫禄。すごい緊張感。いい音。


色々と聴いた後、今日の締めの会場へ。
酒井潮クインテット(オルガンとホーン)の演奏なのだが
実際は完全にゲストの吾妻光良オンステージ。全部持ってった。
地元阿佐ヶ谷在住だけあってすごい盛り上がり。
っていうかこのおっさん最高だわ。


阿佐ヶ谷には町に根付いたイベントが沢山あってとても面白い。
ずっとここに住みたいなと思い始めている。
こちら側の東京。