同窓会・20年前のリアル・モラトリアム

昨日、中学3年生のときの同窓会(クラス会)があった。
小・中・高を通して同窓会が続いているのはこの3年5組だけで
5年に一度、地元の駅近くの飲み屋に集まることになっている。


駅に着いて、ドアを開けるともう10人くらい集まっていて
懐かしい顔がみんなこっちを見る。笑う。
なんと、今までずっと来ていなかった担任のO先生の姿も。


結局クラスの半分くらいしか集まらなかったのだが
その後も遅れて何人かやってきて、誰かが来るたびに楽しい。



ふだん浅はかな年代論などを日記に書いたりしているけれど
本当の僕のリアルな80年代はここにある。
このメンバーと過ごしていた3年間が
僕の80年代最後の3年間のリアリティなのだ。


先生は27歳から47歳になり、僕たちは15歳から35歳になった。
まるで村上春樹みたいな物言いだが、
そんなに変わっていない(ように見える)みんなの外見とは裏腹に
20年という年月にはやはりそれなりの意味がある。
みんな自然体になり、僕も自然体になり
余計なことを気にせずに楽しめるようになった。


行く前はすこしドキドキしていた。
今までの会では、楽しいのだけれどソリが合わないとか、
ノリが違うなと感じるところがややあって
なんだかモヤモヤした気持ちとか居心地の悪さとか、
そういう感情を抱くことがあった。
今年もまたそういうアンビバレントな気持ちを
味わうのかなという気がしていたのだ。


昔は実家を出た僕のほうが脱モラトリアムを果たした側だと思っていた。
東京の東側という、都会でもない、
田舎でも「郊外」でもない中途半端な場所から出たかったし
そこから出ることは精神的な脱却を得ることだと思っていた。
地元に帰って友だちに会うのは楽しいけれど、
同時に感じる居心地の悪さは
中学時代のまま土地に根を下ろして生活をしている友人たちと
僕のいまの生活との乖離のせいだと思っていた。


でも本当はそんな乖離など大した問題ではなくて
アンビバレントな気持ちをいつまでも抱えている
僕の内面的な問題だったのだと
自然に同窓会を楽しめるようになった今にして思う。
結局、いつまでもモラトリアムなのは僕の方だった。


とはいえ、
こんなアンビバレンツで、モヤモヤで、
モラトリアムな僕の資質からは
(たぶん好きこのんでそうしているような気もするし)
永久に逃れられないような気もしているのだが(笑)
少なくとも次の5年後の同窓会を
楽しみにしているのだけは確かなのだ。