キヨシローのこと。

キヨシローのこと。


出会ったのは13、14歳くらいの時だったか
近所の「友&愛」という今はなきレンタルレコード屋
『EPLP』というベストアルバムを借りて聴いたのが初めてだったと思う。
『雨上がりの夜空に』は知っていたけど他の曲は聴いたことがなかった。
普段聴いていた他のロックとはなんだか違うような気がしたのだが
当時はその違和感が何かはよく分からなかった。
今になって思えば、ギターを弾き始めて
「ギターソロが〜〜で」とか「テクニックが〜〜で」とか
表層の話にばかり夢中になっていた僕が
ロックに乗せて心に届けられる何か、というものがあって
その「何か」こそがロックなのだということを
初めてRCの曲によって感じたのかもしれない。
同時にそのロックは、なんだか楽しそうでチャーミングだった。
このチャーミングさを体現している人を今でもキヨシロー以外に知らない。


中二の夏に『COVERS』が発売された。
このアルバム問題と宝島を読んでいたことで
まさしく中二病ど真ん中だった僕の「中二病コア」が刺激されて
夏休みの課題で「COVERSと原発について」という作文を
規定以上の枚数を書いて提出したのだが社会科の先生には
特に何事もなくスルーされた。
僕の1988年のサマータイムブルース。

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ずいぶん時は経って、デザイン事務所に就職して会社員になり、
出版社で雑誌を作っていた僕に、キヨシローに会える機会が訪れた。
ペーペーだったのに表紙の撮影に立ち会わせてもらえることになり
芝浦埠頭から10人も乗れないくらいのボートに乗った。
目の前に派手なメイクをしたキヨシローがいてポーズを決めている。
東京湾の夕日が後光みたいに射すのを見ながら
10年前の自分に自慢したい、って本気で思った。


スタジオでのインタビューにメイクを落として現れたキヨシローは
普通の人よりずっとシャイで、インタビューのあいだ中ずっとハニカミながら話していて、
どちらのキヨシローもキヨシローなんだと思った。
ロッカーでアジテイターでチャーミングなおじさん。
取材が終わって、(普段の撮影立ち会いでこんなことはしないのだけれど)
同じくRC好きの妻から託された『ラプソディ』のLPにサインを頂いた。
このLPはわが家の家宝としていまでもリビングに飾ってある。

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ダラダラと書き連ねているだけでなんのオチもないんだけど、
あとひとつ、ついでに書きます。
書いても何も意味がない気もするし、
もしかしたら書くことが僕にとって何か意味があることなのかもしれない。


5/1の夜中、だらだら仕事をしていたら
終電も過ぎてしまい自転車で帰るのを決めて更にだらだら仕事をしていた。
急に音楽でも聴きながら仕事をしようかと思ってiTunesを立ち上げて
ヘッドフォンをセットしたらRCサクセションが聴きたくなった。
RCを聴くのすら数ヶ月ぶりだったけど、さらに急に聴きたくなったのは
殆どクリックすらしたことがない『ヒッピーに捧ぐ』だった。


聴いていたらなんだか変な予感がしてきて
「なんかこういうコレってもしかしたらアレだよなあ」なんて思って
ニュースサイトを幾つか見た。変な予感に応じるようなニュースはなかった。


次の日の夜、僕はキヨシローが亡くなったことを知る。
前日に『ヒッピーに捧ぐ』を聴いていた時間は正確には分からないけど
ニュースで知った「2日午前0時51分」っていうのは
かなり近い時間だったと思う。



「お別れは突然やってきて すぐに済んでしまった」(『ヒッピーに捧ぐ』)
ホントにその通りだ。



ご冥福をお祈りします。やっぱり悲しいのです。