海水浴・テーゼ・夏とは

週末はいつもの仲間で毎年恒例の海水浴旅行へ。
恒例のスーパービュー踊り子号に乗り、
恒例の伊豆今井浜海岸に着いて、夜は恒例の舟盛りで乾杯。


毎年決まった行事を続けることって
「またあのイベントがやって来た」という感じでなんだかイイ。
短い夏という季節は他の季節と違って「終わる」ことをずっと意識しながら過ごすし
しかも強く一回性に支配されている。
(春と秋と冬は「また一巡してこの季節に帰って来た」という
時間が循環して、季節が輪になっているような意識があるのだけれど
夏だけは、毎年「もう2度とこんな夏はやってこないんじゃないか」っていう気がする)


あらゆる青春的なものは
「いずれ喪失するということをみんな知っているけれど、それに気づかないフリをしている」
というテーゼに根ざしていて、
これはまさしく夏そのもののことじゃないか。
物心ついた時から、青臭いことを言うのも憚られる年齢になっても
まだこの夏の呪縛からは逃れられずにいる。
だからみんな夏には楽しそうなことを次々と行っていくのだろう。
もしかしたら恒例の行事をやり続けることで
ちょっとだけその一回性に抗えるのかもしれない。


でもやっぱり旅行の帰りには
もう2度とこんな夏はこないんじゃないかって思う。
結局夏の呪縛からは逃れられない。