100s・アームチェアフジロック・サマーソング

もう夏が来たようなので
自然を満喫すべく相模湖までドライブして
湖やら遊覧船やら山々やら。


曇ってきたので早めに帰路につくと
中央道に乗ったとたんに雨がポツポツと降ってきて
次第に高速道路から見える稜線の連なりが霧に煙っていく。
夏山と緑の匂いと急な雨と音楽。
なんかフジロックみたいじゃん!と妻と一緒に少しテンションがアガる。
その時にカーステレオで聴いていたのは
100sのアルバム『OZ』だった。


今年はフジロックには行けそうにない。
まあ、子どもが大きくなるまで行けないことについては
仕方がないとは思っている。
ただ、あそこに行ったことがある人にだけ分かる
あの空気感、っていうのだけは今年も共有したい気もしていて
何年か通って分かったことは
誰のライブを聴くかなんてもうどうでも良くなりつつあって
あの場所のあの雰囲気を味わうだけでいい、ということだ。
そして、フジロック熱が過ぎると
似たような環境を見つけるだけでちょっと幸せな気分になれたりする。


この熱を進行度で表すと
1.フジロックで○○○のライブを見たい。
2.もう誰が出ようが関係なく行く。
3.別にライブすら見なくても、そこで過ごすだけで良い。
4.もはや行かなくても、想像するだけでトリップできる
で、現在3と4の中間あたりにいるわけだ。



嘘。言い過ぎた。



でも、実際に現地に行くとそれはそれで
やっぱりお目当てのアーティストがいたり
タイムテーブルや気候や疲れに翻弄されてしまい
雰囲気をじっくり味わうよりハードな現実に向き合わざるを得ない。
フジロックは遠きにありて想うもの、ではないが
アームチェア・トラベルならぬアームチェア・フジロック
今年の7月末の週末は妄想で楽しむことにしよう。
(決して卑屈になったりひがんでいるわけではありません・笑)



ラジオで、サマーソングの定義について
ライムスターの宇多丸がこんなことを言っていた。
「サマーソングというのは実際の海水浴場の為にあるんじゃなくて
頭の中に理想のサマーを描くための装置なんだ。
海なんて実際はグッチョグチョのベッチャベチャで
そこにある夏は僕らの想う「ほんとうの夏」の部分部分を
体験するための単なるフィールドワークだ。
「夏に浸る」という行為は海水浴場ではなくて
サマーソングの中にこそあるのだから
サマーソングを聞いて心の中に湧き上げる夏こそが
僕らの本当の夏なんだ」



フジロックで流れる全てのサマーソングに。

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このライブいいなあ。
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