出産・感謝・乾杯

破水して22日の夜に入院した妻から
夜中に陣痛が始まったと聞いて
病院に向かったのは23日の朝9:30頃だった。


僕に出来ることといえば背中や腰をさすったり
呼吸が乱れてる妻をリラックスさせることくらいで
痛がり、叫びながら陣痛に耐える妻の腰に手を当てながら
おそらく僕がすることは
何も痛みの緩和にもならないんだろうなと思っていた。
これは女の戦いなのだ。
産後、妻は「側にいてくれて本当に良かった」と言っていたけれど
気持ち的にはどうであれ
あの場所で、僕が生き物としてできることは何もない。
けれど、絶大な無力感とともに
一緒にこの場を味わうことの重要さも感じていた。
つまるところ、父性の獲得は
「自覚」という精神的なものだけなのだ。


夜中の3時半(陣痛24時間経過)に
痛みも激しく、間隔も短くなってきたので
「これはもう産まれるだろう」と期待して診察してもらったら
「赤ちゃんの向きがおかしい」
「このままの向きだったら帝王切開になる。
しばらく様子を見るけど子宮口の開きも戻ってるし
どちらにしても朝までかかるか、
もしくはもっと先になるでしょう」
と言われ、ちょっと気が遠くなった。
まだ? ああ、どれだけ待てば良いのだろう?
耐えて耐えてようやく9割進んだと思った出産が逃げていった。
これ以上妻の体力が持つのかも心配だった。

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結局明け方まで待っても
赤ちゃんの向きは変わらず手術をすることになった。


そして1時間後に娘は産まれた。
妊娠中の測定より軽くて2882グラム。
手術室の前で初めて娘を抱いて「小さいな」と思った。
あとで分かったことだが
顎を引かずに口から外に出ようとしていたそうで
僕も妻も小さい頃はしゃべり出すと
止まらない子どもだったらしいのだが
この子は生まれながらにもうおしゃべり決定のようだ(笑)


とにかく嬉しくて安心して全身から力が抜けて涙が出た。
妻には本当に感謝だ。
残念ながら僕の誕生日(8/23)と一緒にはならなかったけど
2日続けてバースデーの来る家、というのも良い。

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一度家に戻って、急ぎの仕事をしてから少し寝て
知人に報告メールを送ってから
夕方また病院へ行った。


そこで妻と相談して名前を決めた。
実はもう妊娠3ヶ月目くらいから
その名前でお腹の子を呼んでいたので
迷うことはなかった。
「桃子(ももこ)」が娘の名だ。

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病院から帰って
晩ご飯を作ってひとりで祝杯をあげた。
うちのベランダから西の方を眺めると
かすかに病院が見えて、
あそこに妻と娘がいるんだと思うとようやくほっとした。
乾杯。