予定日・夏・もうすぐ

まだ、である。
最近、会う人会う人に
「もう子どもは生まれました?」と聞かれるのだが
まだ、なのである。
医者の測定による予定日は8/22、
基礎体温計による予定日は8/18なので
もうそろそろかなとは思っているのだが
あくまで予定日は予定日なので焦らずに待つことにする。


まったく阿呆みたいに暑くって
66歳で70キロのマラソンをする欽ちゃんは大丈夫なのかとか
北極の氷が計算より30年以上も早く解け始めてるんだとか
地震だとか戦争だとか横綱だとか。
世の中には心配ごとがあふれている。
出産の日くらい、何事もなければいいのに、なんて思う。
…ってホントは大して心配していないのだ。
幸運なことに、妊娠が分かってから今日まで
大きなトラブルも心配事もなく、無事に過ごせてきた。
このままうまくいけばよい。それだけ。



「ふたりだけの生活ってのもあとわずかだねー」と
晩ご飯のゴーヤチャンプルーをつつきながら妻が言った。
言われてみればそうなのだった。
陣痛が始まって、病院へ行って、赤ん坊を産んで
退院して実家に戻って静養して育児して、
次にこの家に妻が戻ってくる時には
もうひとり家族が増えているのだ。
僕は「んんんー、そうだね」と
晩ご飯のトマトの切ったやつを口に入れながら
ダイニングテーブルの、
「お誕生日席の位置」に据え付けられた椅子に
子どもが座っているのを少し想像した。


これが最後の〜とか、これが最初の〜とか
そういう感情はセンチメンタルに過ぎるのかもしれないけど。
(夏はいつもそんな気分になる)
やっぱり妻のひと言は
来るべき未来と、いまここにある現実との差を
リアルに浮き上がらせてなんだかドキッとした。



でも、考えてみればこの9ヶ月、
ずうっとお腹の中の子どもと一緒に過ごしてきたのだ。
お腹の皮と脂肪3センチの向こう側では
グニョグニョと動きまくっていて
生まれていないけど、確かにそこにいるのを僕は知っているんだぜ。
買い物も、散歩も、食事も、もう何度も一緒にしているのだった。
これが「親という実感」なのだろうか。


いや、もっとタイヘンでタイヘンでタイヘンな現実が
沢山待っているんだろうなあ。
今のうちに甘っちょろいことを夢想しておこう。


もしかしたら
これが「子どものいない僕」の
最後の日記になるのかなと思いつつ。
(やっぱり夏のせいで)