DCPRG解散の続き

DCPRGの解散から一夜、いや二夜明けた訳ですが
思い出しながら軽くまとめ。


・セットリスト終了後菊地さんが解散を発表。
・『アメリカ』でバンドとしてのピークを迎えた。
・全部上手くいっている時に壊したいという願望。
・次に何をやるかはもう構想している。
・レコーディング前から考えていて、レコーディング中にメンバーにメールで通達。
・反対する人は誰もいなかった。
・菊地さんのワガママで終わらせる代わりに
 メンバー全員いつもと違う楽器で「Hey Joe」をやらせろと要求。
・メンバーはそのことで今日は頭がいっぱいだった。
・名うてのミュージシャンによる、
 あまりにグダグダな「Hey Joe(笑)」でDCPRGの活動は終了。
・客電後も客が帰らずアンコール。菊地さんが出てきて
 「もっとやれー!」「ミラーボール!」の声に
 「うるせーこのヤロー(笑)」「そんなクソ甘ったれた要求には応えられない」。


といった流れでライブ終了。 


ほうぼうのblogや掲示板を覗いてみると
ファンの人たちはずいぶんおとなしく受け入れている印象。
まあ、期間限定でもっと早く解散しているはずが延期されていたのだし
(僕はかなり後になってハマったので、
当初の予定通り解散していたら一度もライブを見られなかった)
あの終わり方は、湿っぽさと寂しさをスレスレで回避しながら
観客を困惑のまま、熱狂とダンスと
そして最初にして最後の笑い(!)にシフトさせていたのだと思う。
ロックでもフォークでもない終わり方は
なんだかDCPRGらしい、菊地さんらしい感じ。


今になって思うと「Hoa-Ky/花旗」という曲も
TOKION誌の菊地さん特集のインタビューも
すべて解散への伏線に思えてくる。
その日の演奏も素晴らしく、
アメリカ』からの曲も以前のライブやCDとは比べ物にならないほどアガるし
ハノイ」と「サークル/ライン」に至っては鬼気迫る感じで
解散より、こちらの曲中のほうが泣きそうになりましたよ。



翌日、ボーっと「Mirror Balls」を聴いていると
不意に「00年代ももう終盤にかかったんだ」と
おそらく2000年以降初めての念に襲われた。
僕にとって、各年代ごとに影響を受けまくる人、モノが明確に分かれていて
それは80年代の宝島だったり90年代の小沢健二村上春樹だったりしたのだが
(うわあああ。書きながら声を上げてしまった。コレは恥ずかしいというか
ヤバイというか何やらアレな感じです。)
目下、00年代のベスト・オブ・インフルーエンスは菊地さんな訳です。
そんな菊地さんの活動の中でも、DCPRGは「00年代の匂い」が強くて
その解散によってなんとなくディケイドの終焉に向かう意識が生まれた気がする。


ディケイドの終わりには社会的にも文化的にも
刺激的で面白いものが出てくるものだけど
菊地さんはじめDCPRGのメンバーの次の活動に期待しつつ。
やっぱり少しだけ感傷的に。



前に仲間のSと一緒に遊びで作った「なんちゃってMirror Ballsリミックス」。
http://hooop.net/archive/mirrorballsmix.mp3


arrangement, program, keyboard=Takeshi Shindo
arrangement, program, guitar=Eishi Takeda