来週、実家がなくなる。
というか生活の器としての家は、すでに今日で任務を全うして
来週から始まる工事で物理的にも姿を消すことになる。


要は両親が隠居後を見据えて
今の家の土地にワンルームマンションを建てて
自分たちは5年後くらいに田舎に移住しようかという計画の
第一段階が始まったということなのである。


もちろん両親は当面都内の別の場所に住むし
弟も実家からそう遠くないところに引っ越すので
それほど家族の成り立ちに影響はないので無問題。
と、思っていたのだけれど
自分の部屋に残っていた(予想以上に大量の)荷物を運び出し、
庭にあった設置物が解体され、履かない靴が処分され
壁掛け時計が壁から下ろされるとやはり寂しさを感じる。


自分の荷物を全て持ち帰ることはスペ−スの都合でできないので
必然的にモノを処分しなければならない。
みんなそうかもしれないが、実家の部屋というのは
物理的にも精神的にも「曖昧なものを曖昧なままに保留しておくところ」であって、
それを白黒つける作業はとても労力が必要なのだなあと実感した。
それにしても僕はなんて多くの曖昧さをこの部屋に
置きっぱなしにしていたのだろうと呆れもした。


ゴミ袋と段ボールが一つづつ増えるにつれ
色々なことにケリがついてゆく。
たぶん殆どは今はもう必要のない残留物だったのだろうが
ここ何週間かでいったいどれほどのモノを
ゴミ袋に入れて捨ててしまったんだろうかと思う。


両親の引っ越しも終わり、
ずいぶんガランとした家は空き箱のように解体工事を待っている。


僕はまた曖昧さを少しづつ溜めながら暮らしていくのだろう。
そうやって新しい家が出来ていくのかもしれない。