チェリー・ブルー・ブルース

eightgraph2007-04-04

桜は散りぎわが一番美しいといいますが
おそらく東京で散りぎわの桜が一番似合う場所であろう
浅草、隅田川の川べりに来ています。
この辺りの花見では、家族連れやカップルに混じって
高齢の大道芸人や白塗り女装した老人、
花見の時だけじゃなく日常生活として地に青いシートを敷いている方々、
そんな方々が演奏するアコースティックバンド
(ギター・ハーモニカ・タイコという編成でした)などなど
あまりに哀愁のある光景が繰り広げられています。
華やかな桜との対比、ではなく散りぎわの桜と哀愁と喧噪の渾然一体、
音楽でいえばメジャーでもないマイナーでもないブルーノート
ここには東京で唯一のリアルなブルースが存在しているようです。
そんな中で桜吹雪が汚い隅田川の流れにハラハラ落ちていくのを見ていると
花見の季節特有の憂いについて思ったりもします。


桜を見ることの憂い、は日本人だけが感じるようで
英語のcherry blossomという単語には、
日本人が「さくら」という語から受けるような
憂いの意味は含まれていない、と聞きます。
花見を英語で何というのかは知りませんが、
きっと「鑑賞」以上の意味はないのだろうと思います。


余談ですが、先日、日本橋辺りでもハードな路上生活者の姿で
ギターとミニアンプを担ぎ、クシャクシャのタワレコの袋
(入っているのはレコード、ではなくて生活道具です)を持った人を見かけ、
「本物のブルースマンがいた」と思ったのでした。
いや、確かめた訳ではないけれど
機材(エピフォンのフルアコ用ケースにVOXのミニアンプ)から察するに
あれはブルースマンに違いない(笑)
たぶん三越前のクロスロードでテクニックと引き換えに悪魔に魂を売った帰りです。
そしてそのすぐ側にも日本橋川が流れていたのでした。
デルタ・ミシシッピ発祥のブルースは
やはり川と密接に結びついているようです。



she said i'm ready for the "blue"〈ブルーの準備はできているの、と彼女は言った〉
という小沢健二の歌詞の中でも一、二を争うほど素敵な一節がありますが
まさしくそんな感じで桜は散っていきます。
三寒四温、川べりのブルー、僕のブルー、みんなのブルー、散る桜。
初春の憂いをいくつか越えたところで
ようやく完全な新しい季節を迎えるような気がします。